日本の旬・魚のお話

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日本の旬・魚のお話
日本の旬   魚のお話(夏の魚-1)
鮎(あゆ)
新緑の初め、清流に身を躍らせて太陽にその銀鱗を反射させる若アユの姿は実に美しく、まさに初夏の使者、清流の女王と呼ばれるにふさわしい趣がある。初夏から夏が旬、白身で独特の香りをもっている。

        若鮎の 二手となりて 上がりけり 子規
命名
アユの語源には、以下のような諸説がある。
  ・「脆(あ)ゆる」。弱弱しいとか優しい魚の意。
  ・「あや」。美しい姿とか愛すべき魚の意。
  ・「落(あゆ)ちる」。秋に川を下る魚。
  ・「ア」は小、「ユ」は白、つまり小さく白い魚の意。

漢字が輸入されて「安由」や「阿由」などと記されたが、以下の別名がある。
  ・鱗の細かなところから「細鱗魚」。
  ・口辺が白く目立つから「銀口魚」。
  ・多くは1年で生涯を終えるので「年魚」。
  ・体表を覆っている粘膜に良い香りがあることから「香魚」。
  ・日本を代表する国魚として「国栖魚(くにすうお)」。

通用漢字は「鮎」と書くが、これには三つの伝承があり、いずれもツクリである占いに関係している。
  1.神武天皇が九州より兵を進め大和国に入り、治国の大業が成るか否かを占って瓶を川に沈めた時、浮き上がっ
    てきたのが鮎だった為。現在でも天皇の即位式において、階前に立てられる万歳旗の中の上方には「亀と鮎」
    が画かれている。
  2.神功皇后が朝鮮半島に兵を出された折、今の唐津市松浦川のほとりで勝ち戦か否かを祈って釣ったのがアユ
    だった為。
  3.約1000年前の延喜年間に、秋の実りをその年の諸国におけるアユの漁獲漁の多寡で占ったことから。

中国で「鮎」はナマズを指す。最近は逆輸入で日本と同じように使用している。

        魚扁に 占い給う 御勝利      梅 柳
地方名
ほとんど全国単一で、成長過程や棲息地、季節などに関する以外では、地方名というべきものは極めて少ない魚である。
入り鮎 ・・・・・・洪水のため海へ押し流されたもののうちで、再び元いた川に戻れずに他の川へ入ったアユをいう。この
         アユは不思議と中流以上には上らないと言われいている。
モロコアユ・・・繁殖期に入ったものをいう。
サビアユ ・・・・秋に入ると体色の黒味が強くなるのを「錆アユ」という。特に雄で著しい。且つ尻ビレは橙色、腹の側面
         は淡紅色と美しくなるが、香りや味はやや落ちてくる。
ヒオ・ヒウオ・氷魚
      ・・・・琵琶湖でアユの幼魚を言う。
カツラソウ・カズラス
      ・・・・越年魚(フルセ)を仙人魚として呼んだ。カズラスはの転呼(琵琶湖周辺)。
タガワモドリ(琵琶湖)
      ・・・・越年して他の川、例えば本流から支流へ戻った魚をいう。

   英名 Sweet fish 、Ayu  中国 香魚  韓国 銀魚、銀口魚
サケ目アユ科アユ属アユ
ワカサギ、シラウオなどと同じサケのグループで、ただ一種類しかない一科一属一種。北海道南部から沖縄の本島を含めた日本全土に棲み、海外では僅かに朝鮮半島の西南部や台湾の北部、中国南部にしか棲息しない。いわば日本の国魚ともいってよい魚である。
形態
サケ特有の脂ヒレがあり、鰭条骨(きじょうこつ)は6本であること、背ヒレは体の中央部にあり大きいこと、歯は犬歯状でなく櫛状歯(しつじょうし)であること、体色は淡黄色で胸ヒレ付近に1〜2個の明るい黄色斑があることが特徴。
シーボルト
アユを始めて学界に紹介したのは、オランダから鎖国時代に日本に渡来し、「日本動物誌 FAUNA JAPONICA」を編集した、シーボルトである。
成長
秋に川口近くで孵化した稚魚は一旦海に下った後、翌年の3〜6月にかけ、海水と川の水温がほぼ同一の13〜18℃になる頃に川へ上り始める。
この頃になると鱗も出来、体色も黒味がかってくる。また、動物性プランクトンを食べていた円錐形の歯も抜けかかり、舌唇も発達し、体長が6cm程になる。
餌は石や砂礫に着生した「水アカ」や「コケ」と俗称する藻類を削り取って食べる。削り取った跡を通称「はみあと」といい、笹の葉を二枚並べたように見える。これは太公望にとって大切なポイントとなり、「アユを釣るなら石を釣れ」とも言われる。
上流に上りながら成長してゆくが、上るにも限度があり、イワナやヤマメの棲む渓谷流までは行かず、ウグイやオイカワなどの棲息するあたりまでである。

          石垢(いしあか)に なお食い入るや 淵のあゆ   去来
友釣り
アユは1分間に約20回、餌であるコケをかみ、日中の約10時間ほどで20g前後のコケを食べる。
餌場の1m四方ぐらいを縄張りとして、他のアユが侵入してくると体当たりを試みる。
追いかけても2〜3m辺りまで。この性質を利用した漁法が「友釣り」で、生きた囮(おとり)のアユの鼻に鼻輪をさし通して逆針を背鰭の根元に刺し、アユの縄張りの中に流して釣る。世界的にもユニークな釣り方であり、江戸時代後期に岐阜や静岡で始められたという。
産卵
夏の間、川を上り、盛んに餌を食べて成長したアユは、秋口の頃には体長20cm、重さ100g以上になって成熟し始め、川の中下流の産卵場へと下る。これを「落ちアユ」といい、また産卵期が近づくものを「さびアユ」という。
9月下旬から10月頃、小石に砂礫の混じった水深30〜50cmの、サラサラと清い分岐流の注ぎ込む浅瀬を産卵場とする。これを瀬につくといい、「瀬つきアユ」と呼んでいる。
サケと反対にオスが産卵床を作り、一妻多夫で生殖する。産卵を済ますと、大部分のアユはまもなく一生を終える。
卵は1〜12万粒、球形の粘着卵で、最適温の15℃前後なら2〜3週間で6〜7mmの稚魚が孵化する。孵化後は夜中に海へ下り、イワシと同じようにシラスと呼ばれ、動物性プランクトンを餌として冬を越す。    
信長と鵜飼
鵜飼の歴史は古く、いまから約1200年程前に出来た「日本記」にも記載されており、また長良川の鵜飼も、延喜年間には7戸の鵜飼部があって奉納させていたとの記事もある。
長良川の鵜飼を最も有名にしたのは織田信長で、その頃の鵜飼は京都の桂川で都人の遊びであった。この京文化に憧れていた信長は、鷹匠に禄を給し、鵜舟を与え、鵜匠という名を与えて優遇したのが始まりである。
また、明治23年には皇室の御料鵜飼として、宮内省猟寮に属することになった。

        おもしろうて やがて悲しき 鵜舟かな      芭蕉
若アユの像
大正2年、青梅市にある「釜の淵公園」に、東大の石川千代松博士が我国で始めて琵琶湖産のアユの放流養殖を行った。この地を記念して碑がある。
アユと日照時間
アユの成熟には日照時間と水温の関係が有り、日照時間を16〜20時間と長くしてやると 成熟せずにいつも若アユのままである。これは、養殖のアユが「サビアユ」になるのを遅らせることに活用されている。
また、夏でも逆に暗くして水温も下げておくと、早く成熟する。これらを利用して年中産卵させることが可能となった。
コアユ
一生を湖で送る10cm前後のアユを「コアユ」と呼ぶ。琵琶湖、本栖湖、西湖、河口湖、池田湖、鰻池(鹿児島)などに棲息する。
海産アユと比べて縄張り性が強いので、河川で友釣りする釣り人に人気がある。海産アユは遡上する間に、仲間と張り合うよりは共に生きる方がベターなことを学習したのかも?
また、産卵期が早いので、河川に放流されても海産アユとは繁殖交流が起こり難く、遺伝的には10万年程度の隔たりという差異が維持されている。
漁法
1.追い叉手(さで)漁 ・・・・・竹竿の先端にカラスや鵜の黒い羽根をつけ、水面をなでる人と手網を持つ人が一組一組
                 になって、羽根でおどして網に追い込む。養殖用や放流用のアユとして利用。
2.沖すくい網漁・・・・・・・・・加工用のアユとして獲る漁法。船先に網をつけ、アユの群れをめがけて一気に網を水中に
                 突っ込ませすくい獲る。
3.小糸漁(刺し網)・・・・・・・これも加工用として獲る方法。夕方網を仕掛け、早朝引き上げる。
4.えり漁(定置網)・・・・・・・アユの通路に竹簀(すのこ)を張り、自然に中へ迷い込む様にした漁具を使う。
5.簗(やな)漁 ・・・・・・・・・・落ちアユを主に漁獲する。

          行く秋の 所どころや 下り簗       蕪村
流通
市場に出ているアユの8割は養殖物で、近年は国内消費だけでなく、隣国の台湾やアメリカ西海岸まで輸出している。現在、アユは3分類されて売られている
  1.天然アユ・・・四万十川や長良川産の物が人気で、2〜3万円で取引される。
  2.養殖アユ・・・「半天アユ」と呼び、養殖物を、出荷の2〜3週間前に生簀に河川水を流し込んで運動させ、余分
            な脂を絞り込んだ天然に近いアユも流通している。
  3.冷凍アユ・・・養殖物で、あまり運動させないまま出荷となるので、脂が乗りすぎている。
  4.サイズ・・・・・地区によって好みがあり、関東は1尾80g以上の大型を好み、中京は70〜80g、関西は小型の
            60〜70gを好む。
アユはカルシウムがたっぷり
日本食品標準成分表(可食部100g当り)から抜粋。

カロリー
(kcal)
タンパク質
(g)
脂質
(g)
カルシウム
(mg)
リン
(mg)
ビタミンA
(IU)
天然アユ 129 18.3 5.5 270 310 120
養殖アユ 175 17.8 10.4 250 320 180
マイワシ 213 19.2 13.8 70 200 60
鶏肉 239 19.7 16.5 7 140 200

食べ方
縄文遺跡でアユの骨が発見されたことから、日本人は縄文時代からアユを食べていたことになる。
延喜式(927年)には煮塩年魚(にしおあゆ)、塩漬年魚、押年魚、火乾年魚(ひぼしあゆ)、酢年魚などの加工品が登場しており、生活に密着した魚であったことがうかがえる。 
江戸時代になるとさらに調理法が増える。「料理物語(1643年)」には、膾(なます)、刺身、寿司、焼手、蒲鉾、白干し、しほ引き、うるか、アユの皮焼き膾等など記されている。
  姿焼き・塩焼き・・・・・アユの美しさを愛でながら、ワタの苦味を楽しむ。蓼酢(たです)で食べるのが一番。
  背越し・・・・・・・・・・・・内臓とヒレを取り、水洗いしたのちに水気を取って厚さ2〜3mmの筒切りにするあらい料理。
               生野菜といっしょに盛り蓼酢で食べる。
  鮎の蓼(たで)干し・・・三枚におろして、蓼の葉をつけて干したのち、内臓と味噌を和えた汁を塗りながら焼き、酢取
               りみょうがをあしらう。
その他では煮付、田楽、椀種、天ぷら、フライ、雑炊、甘露煮、昆布巻、等など。
加工品ではうるかがある。内臓の珍味でアユの塩辛。食塩を材料の20〜30%加え、毎日撹拌して、熟成させたもの。頭とヒレ以外を使用する切込うるか、卵巣を使用子うるかする子うるか、精巣を使用する白うるか、内臓のみを使用する苦うるかがある。


        秋深し 鮎のうるか 独り酌む      三宅 勇三
        鮎の宿 おあいそよくて 飯遅し     山口 青邨
        鮎よりも からき蓼酢の 青さかな    上京発句集


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