日本の旬・魚のお話

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日本の旬・魚のお話
日本の旬   魚のお話(春の魚-1)
鰹(かつお)
「青葉鰹に桜鯛」や「夏は鰹に冬鮪」と言われ、早春2月頃から夏にかけて太平洋を北上する「上りカツオ」を旬とする。また、夏を過ぎると北から南下してくる脂の乗った「下りカツオ」が旬ともいう。
カツオは、石器時代の人々も食していた重要魚種である。「かつお節」を作り、珍重したのは相当昔からであるが、広く生食されるようになったのは江戸の中期以降からのことらしい。

    目に青葉 山郭公(ほととぎす) 初松魚(はつがつお)   山口 素堂
命名
昔、生のカツオを食べることができたのは漁民であり、漁民語として呼ばれる様になったと考えられる。
昔の漁民で、毎日、米や麦を主食に出来る者は少なく、野菜と魚が主食であった。このことは大漁に獲れて安価な魚の地方名に「カド」や「カツ」という名のあることで判る。「カド」や「カト」、「カツ」は「カテ」と同源同意語であり、糧(かて)、つまり食糧の意であって、俗語では飯にまぜて炊き込むもの、米の代用という意である。三重ではサンマ、東北や北海道でニシン、北陸でネズミザメ、青森でアオザメなどを「カド」や「カト」と呼び、また、伊勢湾ではサッパ、宮城や福島ではカツオなどを「カツ」と呼ぶ。
また、「カツ」は「糅(か)つ」、つまり食物に混ぜたものという意もあり、鰹は太平洋岸の漁村でまぜ飯の主要な食材だったのであろう。このような事由からカツオの語源は「糅魚」であろうと考えられる。
一方、『貞丈雑記』では、「カツオは古くから生食せず、乾したるばかりを用いしなり、乾せば堅くなる故にカタウオを略してカツオと呼び、後に「鰹」の字を作り出したり」としており、『日本古語大辞典』にも、「カツオというのは後世の語で古くは「堅魚」である」とある。また、「松魚」とも書くが、これは鰹節の質感が樹脂を多く含んだ松材の赤身の部分に似ていることからの意。
地方名
カツ(東北)・カツウ(千葉・静岡)・・・・カツオの略転呼称か、または糧(かて)、糧魚(かとお)、糅(かつお)魚の意味を語源
                      とする呼名。
サンゼンボン(伊豆)・・・・・・・・・・・・・小型の物の呼名で、三千尾で千貫(約四トン)になるほどの大きさのものを言う。
タテマダラ(島根)・マンダラ(北陸)・スジカツオ(千葉)
                  ・・・・・体表に縦縞や縦筋があることからの呼名。
ハタジロ(東京・神奈川)・・・・・・・・・・斑白(はたじろ)の意で白色の縞のこと。
マガツオ(九州・四国・東京) ・・・・・・同種の魚の代表格のものには呼名に「マ」を付けて言う。
小判(しょうばん)・中判・大番・飛大(とびだい鹿児島)
                  ・・・・・鹿児島の方言で大番とは「飯」のことである。魚の語意は「代飯」や「台盤」の意で
                      あろう。食糧として支給される若干の米を「台飯」と呼ぶことが『物類称呼』にある。
   英名 Skipjack & Bonito
スズキ目サバ科カツオ属
カツオ属はカツオ1種からなり、仲間にはソウダカツオ属のヒラソウダとマルソウダ、その他にはハガツオがいる。
形態
体型は紡錘形で、横断面はほぼ円形である。
胸甲及び胸びれ近くにだけ小形の鱗があり、歯は両あごだけにある。両背鰭はわずかに分離し、第2背鰭の後ろに8個、尻鰭の後に7個のサバ科特有の離鰭(はなれびれ)がある。体側の黒褐色の縦走帯の数は4〜10条。
すこぶる敏活で、遊泳は巧妙、かつ迅速。19〜23℃を好適水温とするが、漁獲される水温は16〜30℃である。時々、他の魚を追って沿岸に寄せてくることはあっても、内湾に入ることはない。
カツオの記念切手
1966年5月に発行されたカツオ絵の切手には、あの縞模様がないというので当初は問題となった。縞模様は泳いでいるカツオにはなく、死後に現れるためである。ちなみに、作者は文化勲章受賞の橋本明治画伯。
分布
北海道以南のほとんど全世界の暖海に分布する。日本海にカツオの漁場が無いのは、中国の東海及び黄海の淡水の混じった海水が6月から8月にかけて広がる為である。
黒潮に乗って南方から北上し、夏は北海道の近くまで達するが、9〜10月頃に水温がやや冷たくなると南方へ帰る。北進の時は沿岸に接近することもあるが、南進の時は遠く沖合の中層を泳ぐ。上層を泳ぐ時でも、雷の音や光を恐れて深く沈むことがある。 
産卵と成長
産卵は6〜7月で、南方の海で行われ、イワシやイカ、浮遊性の小甲殻類を餌に成長する。外敵のカジキから群れを守る為に、流木や鯨、ジンベイサメに付き従い、リーダーを先頭にして整然と群泳する習慣があることはよく知られている。その場合、漁夫たちは前者を「木つき群」、後者を「サメつき群」とよんでいる。
東北海域で丸々と肥ったカツオは、9月中旬になると北海道沖合から南下をはじめ、その南下の足は速く、10月末になると東北水域から姿を消す。このように2歳魚は広く回遊するが、3歳魚になると南西諸島の南部や小笠原諸島ぐらいまでが分布の北限で、さらに高齢となるに従って太平洋中央部に集まっていく。
1年目で40cm、2年目で65cm、3年目で70cm、4年目で75cmに成長し、日本近海へは1〜3年目の若魚が回遊する。寿命は約10年以上。
漁期
南洋方面では年中漁獲があり、沖縄や台湾では冬季のみ漁獲が無くて2月頃には釣れ始める。北方に向かうにつれて漁期が遅れ、鹿児島や高知では春、伊豆以北では初夏から秋に見られ、秋が最盛期である。
漁法
専ら竿釣りである。カツオ漁船には活魚槽が設けられ、出漁の時はその中に生きたイワシ(主にカタクチイワシ)を飼っておく。漁場に達すると、すぐに船縁からシャワ-を噴出して海面を泡立てさせ、生きたイワシを撒き餌として魚群を船近くに誘い寄せ、吊り上げる。魚が夢中になってくると、餌をとめて擬似釣りを使う。全長1mに達するものもあるが、日本で多く取れるものは50cm程度かそれより小さい。一本釣りの他に巾着網も用いられる。
初カツオは痩せて脂が少ない
東北水域では、日本列島を離れた黒潮である黒潮続流が南部付近で東流し、北からは親潮が南下する。この寒暖両海流に挟まれる水域は混合水域と呼ばれ、暖水塊と冷水塊が交錯している。海の生産力から見ると、黒潮は生産力が低く生物が少ないが、親潮は生産力が高く生物が多い。
混合水域はその中間にあり、黒潮から混合水域、親潮の順で生物生産力は高まるので、東北水域を北上するのに伴ってプランクトンや小魚も多くなる。カツオはそれを食べる為にやってくる。
従って6月頃に房総沖にやってきたカツオは、痩せていて脂が少なく、鰹節を作るのに向いている。
変色し易いわけ
魚の主な色素蛋白質は、血色素ヘモグロビンと筋肉色素シオクロビンである。赤身筋にはミオクロビンやチトクロームなど生理活性の高い色素蛋白質が多量に含まれている。ミオクロビンは酸素と結合していない状態では暗赤紫色、結合すると鮮明な桃赤色となる。貯蔵中の魚肉が畜肉より変色しやすい原因はミオクロビンが多い為であるが、カツオやマグロでは普通肉で100g当たり100mg以上もあり、マダイの6mgと比べて非常に多い。
以上のように赤身魚の筋肉は色素含有量が多く、回遊性魚であるカツオやマグロがその代表的な魚である。移動範囲の狭い底生生活の魚の多くは白色筋である。
カツオのうま味
筋肉中のATP(アダノシン3リン酸)が蛋白質の分解酵素ホスファターゼによって分解される。
   ATP→ADP→AMP→イノシン酸→イノシン
イノシンは最高の味であるが、さらに分解されてヒスチジンになるとうま味が無くなり、さらにヒスタミンとなる。ヒスタミンはアレルギー反応を介在するため、ジンマシンなどができる。
血合筋
広範囲な遊泳行動をとるカツオやマグロには、赤色筋である血合筋と称する部分が特に発達している。血合筋の色素含有量は普通筋に比べ高く、ミオクロビンの占める割合は80〜90%と平均している。血合筋は筋繊維が細くて結合組織量も多く、そこでは酸素還元作用を活発に行っている。活動的なのはこの為で、赤身魚には12%以上の血合肉がある。
江戸っ子とカツオ
カツオは傷みやすい為、かつてはその地域の近海でとれたものだけしか味わうことが出来なかった。漁場は千葉沖と相模湾で、千葉沖で獲れたものは館山から日本橋まで船で約10時間かかり、相模湾で獲れたものは鎌倉から馬車で金沢まで運び、船で日本橋に運んだ。釣ってから2日目に届くのだが、肉質は蛋白質が分解されてうま味の成分であるイノシン酸に変化しており、味としては良かったとおもわれる。値段は、到着の当日は1本4両(12〜15万円)もしたが、2日目になると鮮度落ちで1割程度に暴落した。庶民は鮮度落ちのものを食べたので、ジンマシンに悩まされたことであろう。

      江戸川柳 はずかしき 医者にかつおの 値が知れる
             女房を 質に入れても 初鰹
             意地づくで 女房鰹を なめもせず
俗諺
猫に鰹節・・・・・・・猫に大好物の鰹節の番をさせるという意で、もっとも不適当で愚かしい行為のたとえ。
女と鰹節は固いほどいい
        ・・・・鰹節は二本で打ち合って固い音がするのを上等品とするが、女も貞操が堅固なほどいいという意。
倅の嫁と鰹節は気に掛る
        ・・・・鰹節は減り具合が気に掛るのだが、姑も嫁の立ち居振舞がいちいち気になるという意。
うどん屋の鰹 ・・・うどんのダシに鰹節を使うことに引っ掛け、人を出しぬくことをたとえる洒落。
タタキ
江戸時代の土佐藩では、カツオの刺身が禁止されていたことから、焼き魚としてカツオのタタキを作って食べた。また、酒盗(塩辛)は延宝2年(1674年)にはすでに作られており、カツオの心臓を竹串に指して焼き鳥のように塩や醤油のタレをつけて焼いて食べる「うすごろ」というものもあって、土佐の酒豪たちに愛されていた。この「うすごろ」は、焼津では「カツオのヘソ」と呼んでいる。
食べ方
「鰹は刺身、刺身は鰹」ということわざもあるように、刺身で食べるのが一番である。
鮮度のよいカツオはニンニクのすりおろしを薬味に刺身で食べるのが最高だが、赤身で鮮度が落ち易いため、タタキにして食べるのもよい。
漁師たちは酒盗(塩辛)やナマスにしたり、雑炊に入れて船上で食べる。
また、生節は酢の物にしたり、キャラブキや筍など季節の野菜と煮ると美味しい。味付きのものは、そのままか、サラダに入れるのもよい。


      鎌倉を 生きて出てけん 初がつお     芭 蕉
      芝浦や 初鰹から 夜の明ける        一 茶
      まな板に 小判一枚 初がつお        其 角


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